表装裂地 間 道

 

 金襴の豪華さ、緞子の華麗さはありませんが、茶人好みの渋さ、わび、粋などの味を持つと言えるのが間道です。一般的には、間道=縞物としがちですが、これは名物裂の縞織物に限って称せられるものであって,一般の縞織物のことを間道と呼ぶことはありません。

 古来より、漢東、漢渡、漢島、広東などの字が当てはめられていますが、名物裂の縞織物が、主として、中国広東地方で産出された絹織物であったことから、この名称が起こったと考えられます。

 日本では、室町時代以降、中国の広東、福建、雲南、四川などで産出された絹織物、インドや中近東などの木綿の縞織物が数多く舶載されるようになります。そこで舶載された縞織物の新鮮な感覚は、茶人を始めとする当時の文化人に喜ばれるところとなりました。縞織物がら日本でも浸透するにつれ、古くから筋(すじ)などと呼ばれていた縞物が、遠くの異国の島から渡来した織物、ということから[シマ]という名称が生まれたとされています。

 やがて日本では、名物裂「間道」の渡来を契機として、縞の生産は急速に発達し、江戸時代から明治にかけて優れた多くの縞が各地で盛んに生産されるようになりました。