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室町幕府3代将軍足利義満の時代、1392年に南北両朝は合一し、文化の中心は再び京都へ戻った。義満は京都の北山に山荘を営み(後の鹿苑寺=金閣寺)、この時代の文化を北山文化と呼ぶことがある。8代将軍の足利義政は為政者としての務めを怠り、茶道、書道、唐物(中国渡来の文物)愛玩などの趣味にふけっていたが、そのため文化の振興には大いに貢献した。彼の山荘(後の慈照寺=銀閣寺)が東山にあったことから、その時代の文化を東山文化と称することがある。義政の東山山荘は、後の書院造の原型であり、日本の伝統的住宅建築のルーツとなるものである。歴代の足利将軍は禅宗に帰依し、これを保護したため、京都を中心に禅宗寺院が隆盛し、そこから造園、文学、茶道など、様々な文化が生まれた。能もこの時代に観阿弥・世阿弥により完成されたものである。このような時代背景のなか東福寺には、『聖一国師像』や『四十八祖像』、『寒山拾得図』、『十六羅漢図』など、多くの著名作品がある。東福寺の仏画工房は以前から影響力を持っていたが、明兆以後は東福寺系以外の寺院からも注文が来るようになり、禅宗系仏画の中心的存在となった。これは明兆没後も工房の弟子達によって受け継がれ、また他派の寺院にも広まって、室町時代の仏画の大きな流れとなってゆく。
本紙は、時代汚れ、時代ヤケがあります。 Exceptional large, Antique Buddhist painting of the sixteenth Arhat (Cūdapanthaka) deep in thought and his young attendant presenting a tea. Muromachi - Nanbokucho Period, Late 14th C. Arhat is an enlightened being (Chinese: luohan) who remained in the mortal world to defend Buddhist doctrine. Arhats were known in India, but it was only in China and Japan that they became a more important focus for worship. Painted on silk with ink and pigments. Some stains and age related foxing are present on the painting associated with great age, and there are some marks and stains on the mounting. Please contact us if you wish to take off the painting to frame. |
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