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 宝起5年(774)弘法大師の甥に  
    あたる智証大師の祖父、和気道善  
    の開基で、当時は道善寺といいま した。この方はのち延暦寺5代の座  
    主となり三井園城寺を賜わります  
    が、この地は智証大師の誕生地で あります。天安2年(858)唐から  
    帰られた智証大師が、先祖菩提の ため堂塔を修理し、延長6年 (928)醍醐天皇の勅願によりこの  
    地の郷名をとって金倉寺と改めま した。  その後寺運は大いに栄え広大な  
    寺領や多くの堂塔を有する大寺に  
    なりました。南北朝や室町時代の  
    兵火によって堂塔のほとんどを焼 失しましたが、寛永19年(1642)藩  
    主松平公によって再建され現在に 至っています。  |  
     金倉寺は善通寺と丸亀の中間に  
    あって周囲を住宅地で囲まれてい  
    ます。単層の大きな山門をくぐる  
    と広い境内の正面、小高いところ  
    に本堂が建っています。本堂は鎌 倉様式の9間4面木造の入母屋造  
    り、向拝の付いた新しい建物で、  
    この様式の本堂としては四国随一 といわれています。本堂手前に  
    は、乃木将軍が善通寺の第11師団 長の時、公務を理由に訪れた静子  
    夫人を追いかえしたため、夫人は  
    松の下で途方にくれたといわれる "乃木将軍妻返しの松"がありま  
    す。この松の手前を左に入ると常 行堂、庫裏、左手には訶利帝母  
    堂、大師堂があり大師堂には弘法  
    大師と智証大師がおまつりしてあ  
    ります。境内には楠の大樹が茂り 兵火を免れた古い鐘楼がありま  
    す。   |