表装の原点
栄西禅師が中国から茶の種子を持ち帰って約半世紀後、大応国師によって茶の作法がもたらされました。それをさらに一世紀余り後に、一休禅師が弟子の村田珠光に教え、珠光がこれを発展させ日本の茶道の創始者となりました。珠光が義政に教えた茶の作法は、大名茶として東山文化の一翼を担うが町方に伝わった茶は武野紹?、千利休により侘び茶として完成しました。 茶道の創始、洗練、伝承の過程において表具はつねに刺激をうけ、相阿弥の表装三体はこんにちのかたちに確立されました。珠光までは茶席の掛物はすべて絵でした。珠光は一休禅師から圜悟禅師の墨蹟を与えられこれを茶室の床にかけよと、いわれ能阿弥に指図して「上下−媚茶、中廻し・風帯−薄浅黄、露−濃浅黄糸 一文字なし、塗り撥軸 」 に表具しています。布は平絹の黄絹で、その簡素な趣は侘び表具の典型例です。茶人たちの美意識を反映した、日本独自の表具の誕生です。 |
その他の表装
額装 額は中国から渡来した篆額にはじまります。篆額とは、門名・堂名・楼名などを木板に彫刻し、宮門や寺門の軒下に掲げるものです。平安時代には嵯峨天皇が儀式を唐法に改めました。それから多くは木彫文字に彩色したもので、時代に合わせて造りも変化し、掲げる場所も寺社宮門から民家へと広がりました。 隠元禅師によって明清の文人画が渡来し、唐風書道の流行とあいまって紙額が生まれました。明治以降は洋額が普及するようになり、鴨居の上に紙額や折釘で壁に釣りさげる“雲盤”を和額として区別するようになりました。 また、和額、洋額を折衷した「枠張り」など現代の生活様式にマッチした和洋額が工夫されました。 巻物、帖 中国の手巻を日本では巻物とか巻子といいます。これらは保存や携帯に便利な形で、経巻や書籍、暦、絵巻物として、装黄師がこれにたずさわりました。折帖は、秀吉が名筆を保存するためにつくらせた「古筆手鑑」が日本における最初と伝えられています。長い巻物を折りたたんで仕立てたもので「手鑑」は名筆を集めたアルバムです。そのうち、折帖の背を糊づけした“冊”が書籍装幀の主流になります。
|