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 天台宗寺門派 
 千手観世音菩薩 
 797 愛媛県東宇和郡宇和町大字明石 
 0894-62-0032 
 予讃線卯之駅から2km 

縁起

 欽明天皇の勅願によリ、正澄上 人が千手観音像を本尊として堂宇 を建立したのがはじまりで、天平 6年(734)から5代目の寿元行者が 熊野から十二社権現を勧請し十二 坊を建てて修験道の道場に改めま した。  弘仁13年(822)弘法大師が嵯峨 天皇の勅願によって堂宇を復興し 43番の霊場に定められました。  その後、建久5年(1194)には源 頼朝が命の恩人、池の禅尼の菩提 をとむらうため阿弥陀堂を建て、 経塚を造りました。この時現光山 と号していた山号を源光山と改め ました。  いらい武士はもとより、庶民の 信仰を大いに集め、寺運は大いに 栄えて現在の偉容を見るに至りま した。  境内の"時雨の桜"は寛永年間 (1624‐44)に大覚寺の空性法親王 が来られた時、庭の桜の樹の根元 だけに霧が掛り雨が降ったので名 付けられといわれます。  43番から44番札所への途中に"十 夜の橋"があります。大師がここの 橋の下で寒さに1夜を10夜のように 感じられた故事により名付けられ ました。いらい遍路は橋を渡る時 は大師の心を思って杖をつかなく なりました。

風景

 卯之町の町はづれ、坂道を上り つめると明石寺の堂々たる山門が 見えます。門をくぐると右手に延 命地蔵堂があり、さらに石段を上 ると唐破風造りの本堂、その右に 大師堂が並んでいます。境内の子 安地蔵の横には33体の石の観音像 が並んでいます。