真言宗高野派 釈迦如来 799-01 徳島県板野郡板野町大字大寺 0886-72-1087 高徳線坂野駅から北へ500m |
縁起 聖武天皇の勅願により、行基菩 薩が開基したお寺で、当時は金光 明寺といわれていましたが、のち に弘法大師が訪れ、霊水が湧き出 ているのを見て金泉寺と改め、第 3番の霊場に定められました。 境内からは天平、藤原時代の古 瓦が発掘されていますので当時の 規模は壮大なものであったと想像 されます。また亀山法皇のご信仰 も厚く、堂塔の再建にご助力され て、山号を亀光山と号されまし た。天正10年長曽我部元親によっ て大師堂をのぞく大半の建物を焼 失しました。現在の建物はその後 に再建されたものです。
|
風景 朱塗りの山門をくぐり、境内を 進むと左手に鐘楼、右手に観音堂 が八角形の姿を見せ、正面奥に本 堂、その手前右に大師堂がありま す。大師堂の横に"黄金井"があ り、この井戸に自分の顔が映れば 92歳まで生きると伝えられていま す。 本坊庭園の池に"弁慶の力石"が あります。寿永4年(1185)源平の 戦の折、この地に立ち寄った弁慶 が力だめしに持ち上げた石といわ れています。 本堂の裏に南朝の長慶天皇陵と いわれるお墓があります。 長慶天皇が当寺にご滞在中、病 に倒れて応永5年におなくなりにな られましたが、明治26年、お墓の 下から石碑が発掘され「南朝長慶 帝寛成尊太上天皇御陵、応永5年3 月19日崩御、御寿53歳」と刻まれ ていたので天皇の御陵とわかりま した。 |